不比等像BL.

  ★★会場入り口
          

  会場BL2

  遠忌BL3

 興福寺(多川俊映貫首)で3日午後、奈良時代に同寺を創建した藤原不比等(658〜7
20年)の1300年御遠忌式が営まれた。同寺と同様、藤原氏と緑が深い層日大社(花山院弘匡宮司)と「神仏合同」で行われ、荒井正吾知事や来賓を含め約1500人が参列、平城京遷都や律令制度整備に尽くした古代の大政治家をしのんだ。

  遠忌BL5


  ★式次第

   ねんBL6

   ねんきBL9

   ねんきBL7

   ねんきBL8

◆不比等の業績ー平城遷都の立役者
 藤原不比等は大化の改新の功臣・鎌足の次男。大宝律令とその改定版の養老律令の制定、平城京遷都などを主導して古代の国家体制を整えた。また、天皇家と外戚関係を結ぶことで、後世の藤原氏隆盛の基礎を築いたとされる。大化改新の父親鎌足は有名だが、その二男である不比等は、律令の編纂、そして平城遷都の立役者でもあった。教科車に載ってはいるそうだが、業績ほどには不比等のことはあまり知られていない。

 御遠忌式は、来年没後1300年を迎える不比等の功績を顕彰しようと企画。本来の命日は8月3日だが、気候などを考慮しゴールデンウイークに実施されたわけで、同寺での大規模な不比等の年忌の催しは静めてとのこと。
 会場となった中金堂は昨年約301年ぶりに再建されたばかりで、内陣正面に室町時代の作とみられる掛け軸「淡海(藤原不比等)公像」(鷹司家所蔵)が祭られた。

 僧侶11人と神職7人が参列し、花山院宮司が祝詞を上げ、多川貫首も不比葛をたたえる表白文を読み上げた。めでたい席で舞われる舞楽「萬歳楽」も南都楽所によって奉納された。

◆記念講演に1300人聴講
 五月晴れの好大気に恵まれ、令和を祝う大型連休の中の行事で、中金堂を囲む柵の外からも,大勢の観光客が興味深そうに見学し、写真を撮っていた。13時30分に始まり15時前に終了。そのあと、県文館国際ホールで、事前申し込みした聴講者を含めて1300人を超える人が,国際日本文化研究センターの倉本一宏教授の「藤原不比等と日本古代国家」の講演を拝聴し解散した。

   公演BL1.

   公演BL2